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勉強しました日記 20161012

概要

 

詳細

  • 早起きしてしまったので勉強した。がっつり寝れたわけじゃないので微妙に眠い。
  • codepenっていう HTML/CSS/JS のスニペットを共有出来るサイトがある。知ってたけど今回はそこから探したというよりはGoogleからたどり着いた。
  • Sign-Up/Login Form をパクった。FristName / LastName 形式は好きじゃないので Name だけに変えた。

  • Vagrant上のCentOSのNginxに乗っけて動くところまで確認した。
  • jQueryとSass(Compass)が使われていることがわかった。
  • Sassって聞いたことあったけどよくわからないので調べた。ScssとSassはどっちがシェアが高いか知りたい。
  • SassとかScssはコンパイルしないと(もしくはサーバ側でリクエスト時にコンパイルすることとかできる?)ブラウザが読めないみたいだ
  • Codepenがコンパイル後の生CSSも出せるので今回はそれをパクった。Codepen有能ありがたや
  • Formタグなんていう単語とは普段一万光年くらい離れた場所にいるので調べたら分かった
  • ブラウザに表示させてみたら白いページだったのでDeveloperTool開いて出てきたエラーでググったらjQuery要求してるみたいだったのでテキトーに1.系の最新を読み込ませたら色がついて動いて気分が良くなった。
  • プログラミングコンプレックスが5くらい減った。でもあと852739くらい残ってる気がする。

自己肯定感は自己承認閾値とでも名称変更した方が良い

ジョギングしてたら降ってきたので、書きます。

 

■ 自己肯定感とは何か

 心理学?精神医学?の用語に「自己肯定感」という言葉があります。
Wikipediaで検索しても該当記事がなかったので、正式な学術用語ではないのかもしれません。しかし、メンタルヘルス方面ではかなり一般的になっている用語で、「自己肯定感の高め方〜」みたいなブログ記事もたくさん見つかります。

 一般的にはこの自己肯定感が低い人ほど鬱になりやすい傾向があります。
なので、自己肯定感を高めるというのは鬱状態を解消するための一つの目的というか、活動方針になります。「自己肯定感の高め方〜」みたいなブログ記事がたくさんあるのはそのためです。

 

■自己肯定感が高い状態とは

 ところで、「自己肯定感が高い」状態というのは、自信満々になるというような意味ではありません。
 日々の生活のなかで事実として現れる自分の長所、短所、致命的な欠陥、考えるに値しない生活習慣、性癖、あるいはコモディティに関する趣味趣向などについて、できるだけ広い範囲について認める、許す、あるいは誇る。その範囲が広いことを「自己肯定感が高い」と言います。つまり、自己肯定感が高い人は、ありのままの自分を受け入れ、長所は誇り、短所は許し、致命的な欠陥は認識しつつ対処し(そんなものはそもそも無いかもしれませんが)、そして考えるに値しない些細な習慣はそもそも頭の中で問題にならない、脳内で色々と会議をしない、そういう思考ができている人だと言えます。

 よく言われる「自分を大事にして」や「自分を愛して」というのは、上記のような自己肯定感の高い思考をして、というのと同義だと考えることができます。

 これは見方を変えると、実績として現れている自分の様々な状態について、誇ることができない、納得や妥協ができない、許すことができない、そして、世間一般的には考えるに値しない些細な状況や認識について、許容したり無視したりすることができない。そういう状況が多い人は「自己肯定感が低い」状況にあると言えます。

 

■自己肯定感の低すぎる人は鬼教官に拘束されている

 自己肯定感が低すぎる人は、例え話でいうならば、自分は自分の頭の中で生徒として常にテストを受けていて、回答を提出しますが、そこには鬼教官がいて、自分が出した回答の点数が低すぎるため、納得できずに生徒を叱りつけて書き直しを要求し続けるような、そういう思考パターンの連鎖に陥っています。
なので、いつまでたっても生徒は帰宅することができない、帰宅を許されたとしても、「そんな成績で許されると思うなよ」などと吐き捨てられて命かながら帰宅しているような状況です。

 そのような状況が続き、精神状態に異常が診られるようになってしまった人の、回復のアプローチの一つとしては、上記のような「鬼教官」を如何にして諮問会議にかけ、辞職に追い込むかという事について専門家と考えるというやり方があります。

■自己肯定感が高い=自己承認閾値が低い

 このエントリで言いたいことです。自己肯定感と聞くとどうしても、「自分はそもそも能力が無い人間なんだから自己肯定なんて出来ない…。」と考える人が多いのでは?となんとなく思いました。

 上記の説明の通りですが、自己肯定感を高めるという行為は自己承認の閾値を下げるという行為と同じです。つまり、自分の能力やこれまでやってきたことについて、もっと妥協してあげましょうよ、という啓蒙をすればいいのです。
自分は生まれも大した事の無い一般庶民なんだから、そもそもこの年齢まで生き延びたり、仕事を得ていたり、そういうことをできているだけで素晴らしいんだよというような庶民思考をしてみるのも一つの手かなと思います。とにかく自分の現状について納得する閾値を下げる必要があります。
 話は逸れますが、納得できない要因として万能感があったりします。自分は子供の頃には色々できたし、本当はまだ期待するステージにあがるための準備をしているだけで、もっとこれから爆発的に伸びるんだ、輝かしい栄光の未来があるんだ。そういうような思考パターンです。もしかしたらそれを打ち砕く必要があるかもしれません。ただそのような思考は良い面もあり、自分の人生を切り開いていくためには一定量必要な燃料だったりします。なのでその加減は専門家の話を聞いて決める、もしくは専門家に委ねる必要があります。

 

■まとめ

  • 自己肯定感が高い=自分の長所も短所もなんでも認められる
  • 自己肯定感が低い人は自分の中の鬼教官に苦しめられている
  • 自己肯定感を高める=自分を認めるための閾値を下げる
  • 自己肯定感という名称は自己承認閾値に変更したほうが良い

 

 

 この本は、まさに自分を肯定しまくることで自己肯定感を高めることに主眼を置いています。良い事も悪い事も、長所も短所も、すべて肯定します。良書でした。

まずは、自分をまるっと肯定しよう

まずは、自分をまるっと肯定しよう

 

 

磨けるところから磨く

磨けるところから磨く

 ある系の総合的な能力を向上させたい場合、能力を構成する要素を分析て分割し、それら個々の要素の能力の程度を判断し、その中からどれを向上させるべきか、という流れで判断が進むことは少なくないと思う。その時に取れる考え方の一つに「磨けるところから磨く」というのがあるのかなと思う。

 磨けるところから磨く作戦を選択した場合、まず、次に磨くべき対象要素がすぐに決定されるので、能力向上プロセス全体における意思決定のスピードが向上する。つまり総合的には作業時間が短縮される。次に、磨けるところから磨くということは、磨く方法がわかっているため、作業のロードマップが描きやすく、作業完了のイメージも描きやすい。したがって、作業時間は短めになり、クオリティは安定する。ここでも作業時間が短縮される。

 面白いと思ったのは次の点で、磨けるところを一通り磨いてしまうと、磨けていない場所がわかりやすくなる。ある系が出す失敗や損失が、磨いていない要素に起因するものに偏ってくる。それはつまりどういうことかというと、「エラーやミスや損失の数は減ってきたけど、コレコレとかソレソレに関するものはあまり減っていない、いやむしろ増えてる気さえする。ここを対処すればさらに良くなること間違いなし。」というのが明確になってくる。

 つまり欠点だらけの系の総合的な改善に着手しなければならない場合、「磨けるところから磨く」というというのはわりかし良い作戦なんじゃないかなと思った。

磨けるところから磨くメリット

  • 「どれからやるか」がすぐに決まる
  • 「どうやってやるか」が大体わかるから悩む時間が少なくて済む
  • 「どこまでやれば良いか」が大体わかるから悩む時間が少なくて済む
  • 上記により改善作業全体としてはスピードが上がり、クオリティが安定する
  • 次のステージで改善すべき事項が浮かび上がりやすくなる

磨けるところから磨くのデメリット

  • 本当に磨くべきところが、「一番磨きにくい、磨けない」ような要素だった場合、効果のある改善を後回しにしてしまい、最終的なゴールへの到達が遅くなるかもしれない。
  • 比較的簡単な活動に終始してしまい、またそれにより達成感を得てしまって、より高度な活動をする意欲を失ってしまう可能性がある。
  • 周りに何も考えていないと思われる可能性がある。

ちなみに系とは

ググれば出てきますがシステムのことで、複数の要素が複雑に絡まっていながらも一つの体を成して何かを行う何かのことです。
はてなブログのようなWebサービスも一つのシステムだし、人間も一つのシステムと言える。